子とまた旅に行きたい
できればキャンプがいい
あわよくば山がいい
自分の好きなことを子どもも好きになってくれたら嬉しい
子どもとたくさん遊びたいし自分のやりたいことも諦められない
子育て中のパパの備忘録
体格の良いお兄さんが、やはり体格の良い丸々した芝犬を連れて散歩していた。その芝犬はよそ見をしながら歩き、油断していたのか僕がすれ違う時驚くほど驚いていた。その愛嬌と緊張感の無さに世の中に飼い慣らされてるなと思った。ふと僕も同じなのかなと思ったり思わなかったり。
山を歩いていると、ゴミを見つけることがあります。個包装の袋が多いかな。
ゴミは不思議です。拾ったら負けとか、損した気持ちになるのでは、と考えたことありませんか?自分が落としたゴミでも無いのに、なんで自分が…みたいな。
一方で、拾わないと気持ちがわるいです。通り過ぎるとモヤモヤします。
拾ってしまうとなんてことないです。なんとなく気持ちも前向きになります。
じゃあ見つけたら拾うで決めちゃったら結構楽です。
そう思うようになったきっかけの話。
その日、鈴鹿山脈の1つ釈迦ヶ岳を登っていました。メンバーは普段会社で一緒に仕事をしている人達。ほとんど年上の方で息子さんを連れて来てる方もいました。
普段から登り慣れている山だったので、ガイド気分でここから見える山が何かとか、この山の難易度はどうとか、地質がどう変わってくのかとか気分よく話しながら登っていました。メンバーのみんなも、うんうんと聞いてくれて気持ちよかったですね。
ふと前方に紙屑、ティッシュです。山でよく見るゴミですね。僕は迷いました、拾うのも嫌だし、みんなの前で拾うのも少し恥ずかしい。どうしようかな、と思いながらティッシュを通り過ぎました。
僕の後を歩く先輩がスッと拾い、何事もなかったように、また歩き出しました。
その所作がとてもかっこよく、そして自分を恥じました。山を偉そうに話してたさっきの自分が恥ずかしくなりました。
という話。先日山の中を歩いているとペットボトル。あのキレイな所作のようにはいかないけど、拾わないとモヤモヤするだろうなと、とりあえず拾いました。少し気分が良かったのと、もしかしたら良いことあるかも、と考える欲深い自分にやっぱり恥ずかしい気持ちになりました。
ではまたいつか
※ゴミの歌
